『となり町戦争』 三崎亜記

となり町戦争

となり町戦争

 まずは装丁から。
 淡い青空をバックに「となり町戦争 三崎亜記」と滑らかな可愛げのある書体で記されている。
 「となり町戦争」の「となり町」寄りの表現だろう。平凡な日常。なめらかな書体はその青空の穏やかさに溶け込んでいる。そこにある「戦争」の文字のギャップも面白い。
 でもこれは上半分。
 表紙の下半分を埋める白い帯をめくらなければこの装丁の計算はわからない。
 帯の下、つまり淡く平和そうな青空の下に広がるのは、寂しい寒色に満ちた、冬枯れた荒野然とした広場なのだ。
 日常的な青空と荒野。明と暗。
 この相反するものがあたりまえのように僕らの視界には存在してる。
 でも暗部は僕らには見えない(帯の下に隠れているからね)。
 
 とまあこれは読後に(かなり適当に)感じだことなのだがただ単に装丁に惹かれた部分はある。
 で内容はというとほぼ期待通り・予想通りの感触だった(ある意味で)。
 ものすごくおおざっぱに云ってしまえば村上春樹風味。
 僕はとりわけ特徴もなく描かれていて、そのとりわけ特徴もない日常に突然奇妙な変化が訪れる。
 じゃあだからといってその日常が大きく様変わりして抑揚が出てくるのかというとそうでもなくて、生活自体は変わっていくのだけどまるで変わっていないかのように淡々と話しは進む。そして僕の前には魅力的かつ不思議な女性。オレは勃起。
 やっぱ村上春樹だ。
 日常に起こる不思議、でも淡々。
 魅力的な女性。
 勃起。
 これは村上春樹ワールドの三大要素じゃないかよ(あくまでオレの中では。本当に?と問われればもれなく僕に沈黙が訪れるだろうが)。
 だがこれ春樹好きのオレがお気に召すかというとそうでもない。あっ、春樹だ。と思った時点から比較が始まってしまってそうなるとどうしたって分が悪い。しょっぱなから掴みにかかってきたけどそのあとの展開がのっぺらとして終わってみれば始まりがピークだったのかという気もする。うーん。
 教訓。高橋源一郎には気をつけよう(帯に載っている彼の絶賛は『すげえ!』のだマジで。なんか書店の新刊の帯の3割くらいで氏のお褒めの言葉を見かけるしな・・・)。