年を歴た鰐の話

 原作:レオポール・ショヴォ、翻訳:山本夏彦
 山本氏が「『無意味(ナンセンス)』といふ武器で、近代の知性に挑戦して、読者を自在に翻弄している」とショヴォを評しているそうだが、なるほど僕も翻弄されてしまった。
 面白いとかつまらないとか、そういうきっぱりとした言葉では片付けきれない不思議な後味が残る。
 解説にもあるが、本書に収められている三作品にはどれも寓意が感じられる。といっても僕にしてみたら、なんかたくらみがありそうだな、と思う程度で、それがなんなのか一つとして思い浮かばないんだけど。それでもどこまでも深読みできそうな話であることはわかる。わかることといえばそれくらいしかないのだ。
 大体良く出来た絵本なり童話なりは、ぎりぎりまで洗練された表現だから、子供向けであろうが読者にとって親切なものでは決してない。事細かに記述された小説なりに慣れてしまうと、省略から生れる自由をうまく扱えない。ありのままを素直に感じることが出来ない。無意味なものを無意味なものとして受け止められない。
 ”ナンセンス”なんていう言葉を知らない子供の時分にこの本を読んだら僕はどう感じたんだろうか。
年を歴た鰐の話